存在の病、あるいは孤独な絶望者の手記

存在の病、あるいは精神的地下室の手記

人生に絶望した男の精神的リハビリ雑記ブログ──人生哲学、思想っぽいもの、小説、詩、本の感想など

遺伝子は隠しパラメータみたいなものであって、遺伝子が人の性格や人生のすべてを決定するわけではない【後編】

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keyword
人生  遺伝的制約  過去  記憶  自我  シナプス  学習  ヘブの法則  神経可塑性  ネガティブな神経回路  習慣  精神的リハビリ  デカルト  世間という大きな書物  唯脳論  永遠回帰  人生の意味のコペルニクス的転回  フロイト  無意識  抑圧  否定の否定  罪責感  自尊心の欠如  回避性パーソナリティ障害  認知の歪み


まえおき


僕はネガティブでコミュ障で自意識過剰などうしようもない人間である。しかし、僕がこんな人間になってしまったのは、遺伝子のせいなのだからしょうがない。僕の染色体に潜む内向型の遺伝子が、僕を内へ内へと引きこもらせてしまったのだからしょうがない。すべては遺伝子が悪いのであって、僕のせいではないのだ──ということを【前編】でネチネチと考えた。


【後編】では、天使との対話を通じて、このような考え方の修正に迫っていきたい。非常に長い記事(※約36000字)ではあるが、お時間のあるときに読んでいただけたら幸いである。


いやいや、どこぞの馬の骨ともわからないような奴のそんなクソ長い記事を、貴重な時間を割いてまでいちいち読んでられないよ! という方もおられるだろう。そんなわけで、本文のエッセンスは「要約」にまとめておいた(要約もだいぶ長くなってしまったが…)。


keywordと目次と要約をご覧いただいて、もし面白そうだと思っていただけたら、本文も参照して下さると嬉しい限りである。(※なお、本記事は対話形式で書いています。そういうのが苦手な方はブラウザ「戻る」ボタンをお願いいたします。)



要約


・人の人生を左右するのは、半分くらいは遺伝的要因によるが、もう半分は精神(意志)によるものである


・人間は過去に縛られる存在である


・といっても、「過去」という時間は人間の記憶の中だけに存在しており、物理的に存在しているわけではない


・したがって、過去に縛られるとは記憶に縛られることであり、記憶が人の「自我」を保っている


・記憶は脳内のシナプスに保存されている


シナプス間隙(かんげき)を神経伝達物質が飛び交うことで、人の思考や情動等が産み出される


シナプスの配線パターンと結合強度こそがその人の「人格」を形成しており、これが自我の正体である


シナプスの配線パターンと結合強度は、学習や経験によって組み換え可能である。これを「神経可塑性(かそせい)」と呼ぶ


・ネガティブな思考ばかりしていると、ネガティブな神経回路が強化されていく。すなわち、ネガティブ思考の「習慣化」が起こる。習慣化とはつまるところ、シナプス結合の強化のことである


・ポジティブシンキングをするためには、頭で考えるだけでは駄目で、実際に行動を起こし、習慣を改め、脳内に新鮮な刺激を送り、シナプスの配線パターンを変えていかなくてはならない


・人生で起こることのすべては、脳内信号に変換されている(唯脳論


・現実世界とは神様の創ったゲーム世界であり、人間は脳というハードウェアを用いて、この現実という名のゲーム世界をプレイしている


・一人ひとりの人間は、このゲーム世界をプレイするいちプレーヤーである。各プレーヤーはそれぞれ固有の【使命】をもっている


・使命を果たすことによってゲームクリアとなり、その人の魂は死後、次のゲームステージへと転送される。しかし、使命を果たさなければ、その人は同じ世界で人生何度もやり直しとなる(永遠回帰


・このように、現実世界はどこまでいってもゲーム世界であり、天国や極楽浄土などというものはない


・死んだらまた次の生が始まるだけであり、「無」になることもない


・ゆえに、死後や彼岸のことにいくら思いを巡らしていても仕方がないのであって、それよりもいまのこの「生」を一生懸命に生きることの方が大切である(人生の意味のコペルニクス的転回)


・ネガティブな自分を捨て去ってポジティブな自分に生まれ変わりたいと思っていても、無意識のレベルでは自分が変わることを恐れ、拒否している場合がある


・それはたいていの場合、過去に何らかのトラウマ経験を抱えており、それが心の奥底に引っ掛かっていて、変わろうとする自分を引き戻そうとするからである


・人間は過去に縛られる存在だからこそ、過去に何らかのトラウマ経験を抱えていると、それが生涯にわたってその人の人生に重大な影響を与え続ける場合がある


・脳の神経細胞(=ニューロン)が死滅しない限り、過去の記憶が完全に消え去ることはない。しかし、だからといってトラウマを克服できないわけではない


・無意識の自分と向き合い、自身の言動パターンを見直し、少しずつ習慣を改めていくことによって、過去の軛(くびき)から自身を解放することができる


・このように、人の人生を左右するのは遺伝的要因よりも、精神的要因によるところが大きい。そしてそれは習慣を改めることによって改善できる。これは遺伝子ではなく、意志の問題である


・総括すれば、遺伝子は隠しパラメータのようなものといえる。つまり、その人の能力の伸びやすさ(素質)を決めるだけであって、遺伝子が人生のすべてを支配しているわけではない


・大事なのは、もって生まれた素質を適切に見極め、自身の能力を最大限に活かしながら、自分に与えられた【使命】を果たすことである


・使命は各人によってそれぞれ異なるのだから、自分の人生を他人のそれと比較しても意味はない。ただ、己の道を真っ直ぐ歩めばそれでよいのである



目次




人生を左右するのは遺伝子ではなく精神




天使:ハァ~~~。アンタってホント馬鹿ねぇ。自分の不幸をぜんぶ遺伝子のせいにしちゃってさ。魂が汚れてるんじゃないかしら?






ぬこ(僕):うわっ、いつの間にそこに⁉ 君はたしかいつぞやの…天使さん?






天使:久しぶりね。また来てやったわよ。喜べ。






ぬこ:…ど、どうも。






天使:リアクション薄いわね~。もっと、諸手をあげて喜びなさいよ! まったく…。






ぬこ:すいません。






天使:まぁいいわ。それより問題なのはアンタの頭の中ね。脳ミソ腐ってんじゃないかしら?






ぬこ:なっ⁉ し、失礼なやつだな。僕は暗い人間には違いないけど、頭がイカれてるわけじゃないぞ。






天使:あら、そう? 自分の不幸の原因を、ぜんぶ遺伝子のせいにする人間がマトモだとは思えないんだけど?






ぬこ:う、うるさいな。だってそうじゃないか。僕が生まれつきこんなか細い神経をしてなけりゃ、人生はもっと楽しくなっていたはずなんだ。…少なくとも自分の性格でこんなに悩むこともなかったはずなんだ。






天使:(´Д`)






ぬこ:な、なんだよ、その顔は?






天使:いや~。ここまで愚かだと、何かもう哀れというか、痛ましいというか…目も当てられないわね。






ぬこ:悪かったな、哀れな存在で。…だったら救って下さいよ、天使さん。哀れな僕に慈悲を与えて下さいよ、天使さん。迷える子羊を助けて下さいよ、天使さん。ねぇ? できるんでしょ、天使なんだからさ~。






天使:おだまり!






ぬこ:痛っ! な、殴ることないじゃないか(涙目)






天使前回も言ったけど、救済することがワタシたち天使の仕事じゃないから。そこらへん勘違いしないでよね。






ぬこ:す、すみませんでした。以後、気をつけます。






天使:よろしい。で、問題はアンタの考え方よ。遺伝子のせいで自分は人生損してると、アンタはそう考えてるわけね?






ぬこ:え? まぁそうだけど…。でも、何で僕の考えてることがわかるの? 話したことないのに。






天使:そりゃあ、ワタシは天使だからね。人間の頭の中をのぞくことぐらい、訳はないわ。






ぬこ:えー、なんだか気味悪いなぁ。人の心をのぞき見るなんて、天使さんも趣味が悪いよ。






天使:ゴメンね~。ワタシ人間観察大好きなオタクだからさ~。アンタみたいな愚かな人間を見てると、ついちょっかいを出したくなっちゃうのよね、フヒヒ。。。ま、救済はしないけど。






ぬこ:なんだよ、それ? 天使って皆そんななの?






天使:いや、そんなことないわ。むしろ少数派ね。しかも、ワタシみたいにこっそり下界まで降りてきちゃう天使はそうそういないわ。






ぬこ:はぁ。じゃあ、君はかなりの変人なんだね。変人というか変天使か?






天使:そうよ。だからアンタはラッキーなの。生の天使を拝めたんだからね。ほら、もっと喜べ。






ぬこ:…。






天使:うん。まぁ、アンタにリアクションは期待しないわ。それより本題に入るけど、人生が上手くいかないことの原因を遺伝子に求めるのは大間違いよ






ぬこ:…そうかなぁ? 僕にはそう思えないんだけど。






天使:あのさ、単純に考えてみなよ。もし人生のすべてが遺伝子に支配されているとしたら、アンタみたいに生まれつき神経過敏な人は皆不幸な思いを抱えることになってしまうわ。でも、実際はそうじゃないでしょ?






ぬこ:うーん…。






天使:てことは、遺伝子の支配が及ぶ範囲は限られているのよ。だいたいアンタ自身、遺伝子による影響は40~50%くらいって述べていたじゃないの。じゃあ残りの50~60%は何? 何でそこからいきなり全部遺伝子のせいになっちゃうの? 阿呆なの? 馬鹿なの?






ぬこ:い、いや…それは…。残りの50%も遺伝子に引きずられちゃうというか…。だって、そうでしょ? たとえば、先天的な心臓病を抱えた人がプロのマラソンランナーになれるかといったら、それは絶望的に困難じゃないですか? ということは遺伝子が人生の選択肢を限られたものにしているといえるんじゃないかな?






天使:ハァ? 本当にアンタはどうしようもないクズね。もういっぺんブン殴りたいわ。






ぬこ:ちょ、暴力はやめて。






天使:ねぇ、天界にこんなことわざがあるの知ってる? 「右の頬を殴ったら、左の頬も殴ってやれ!」ってね。






ぬこ:天界怖っ!






天使:まぁ嘘だけど。






ぬこ:嘘かぃ!






天使:おっ、ちょっとは良いリアクションがとれるようになったじゃないの。その調子よ。






ぬこ:あ…。ハハ、どうも…。






天使:いや、ホントにそうよ。人生もそれと同じじゃない? アンタは自分のことを暗い人間だと思ってるみたいだけど、今みたいにやろうと思えば良いツッコミを入れることだってできる。もちろん、芸人並とまではいかないけどね。アンタがたとえに出した心臓病の人だって同じ。プロのランナーにはなれないかもしれないけど、だからといって走れないわけじゃないでしょ? アンタが無視していた残りの50~60%はそれなのよ。






ぬこ:…? それとは、つまり?






天使:つまり、人間には意志の力があるってこと。アンタの言うように、人は確かに半分くらいは遺伝的な制約に縛られるかもしれない。だけど、遺伝子がすべてを決定するわけじゃない。生物学的な制約の及ばない残りの半分──つまりは精神的な部分こそが人生を左右するのよ






ぬこ:うーん…。なんだか、安直な精神論でごまかされているような…。






天使:アンタも素直じゃないわね~。どうしてそうひねくれるのよ。じゃあ、一卵性双生児を考えてみなさいよ。彼らはまったく同じ遺伝子をもっているけど、だからといってまったく同じ人生を歩むわけじゃないでしょ?






ぬこ:まぁ、それはそうだけど。






天使:その違いは遺伝子がもたらしたものなんかじゃないわ。その人が人生の中で学んだり、経験したりしたことの積み重ねによって変わってくるものなの。






ぬこ:人生経験の違い…。






人間は過去に縛られる存在




天使:そう。ワタシは何も安直な精神論でごまかそうとしているわけじゃないわ。人間は遺伝子に縛られるというよりは、むしろ過去に縛られる存在と言った方がいいかもしれないわね。






ぬこ:過去に縛られる…?






天使:そうよ。ところで「過去」って何だと思う? ぬこやま。






ぬこ:え…過去? 唐突に何だい? 過去は過去でしょ。文字通り、過ぎ去った時間のことでしょ。






天使:うん。まぁそうだけど。でも「過ぎ去った時間」って何? それはどこにあるの?






ぬこ:え? うーん…どこだろう? 天使さんも面倒臭いことを考えるんだね。






天使:アンタの方がよっぽど面倒臭いこと考えてると思うんだけど? いいから何か答えてみなさいよ。






ぬこ:そうだな…。過ぎ去った時間はもう取り戻せないというし…。つまりは失われた時間…。失われたということは、もう存在していない、ということかな?






天使:いいね! 脳ミソ腐ってる割にはよく考えられるじゃない。






ぬこ:だから腐ってないってば。






天使:アンタの言う通り、「過去」なんて実体としてはどこにも存在していないのです。






ぬこ:えー、まさか~。そんなわけないでしょ。だって僕は昔のことを思い出すことができるし、過去の出来事は歴史として知ってるはずだもの。






天使:そう、それ! そこが重要なポイントよ! いい? 時間は絶えず流れ去っていく。過ぎ去った時間はもう存在していない。だから「過去」というのは、実体としてはどこにも存在しない。だけど人間は過去を記憶することができる。過去を思い出すことができる。歴史的な記録文書や映像や考古学的物品を見ることで、過去をイメージすることもできる。つまり、過去とは記憶のことなの。正確にいえば、記憶の再構成によるイメージなの。どう? わかった?






ぬこ:要するに、過去は記憶のつくりだすイメージってこと?






天使:そう。過去はあくまでイメージ。それはアンタの頭の中にだけあるもの。極端にいってしまえば幻想よ。






ぬこ:な、なんだって⁉ 過去が幻想…。うーん…言われてみれば、そういうふうにいえなくもないような…。でも幻想というのも、いまいち納得できないような気もするなぁ。






天使:まぁ、納得できないのもしょうがないわ。過去が実体として存在しているように思い込まなければ、人間は正常な自我を保てないからね。






ぬこ:自我…。






天使:ちょっと想像してみてよ。もし、アンタの過去の記憶が、突然すべて消えてしまったとしたら? そしたらアンタはどう思う?






ぬこ:過去が消える。






天使:うん。たとえば、アンタの脳が膨大な記憶容量をもつハードディスクだと考えてみて。そこには、これまでの人生の中で学んだり経験したりしたことが、たくさんのファイルとして保存されているの。アンタは好きなときにそれらのファイルを開いて過去を思い出すことができる。






ぬこ:なるほど。






天使:だけど、もしある日突然、そのハードディスクが壊れて、データが全部消し飛んでしまったとしたら、どう?






ぬこ:え⁉ それは…パニックに陥ると思う。






天使:でしょ? それとおんなじでさ。人間は膨大な過去を保持することによって、<私>という自我を保っているの。もっといえば、過去に強く依存するのが人間の自我なの。だから人間は「過去」というものが、あたかも実体としてあるかのように思い込まなければならないというわけ。






ぬこ:なるほど。だから「人間は過去に縛られる存在」だと。






天使:そゆこと。でも過去に縛られる理由はそれだけじゃないわ。それは人間の記憶の仕組みが、コンピュータのハードディスクとは違うことにもよるの。






シナプスが<私>をつくる




ぬこ:ふむ。






天使:もし、人間の脳がハードディスクのようなものだったら、アンタの人格も一瞬で変えることができるでしょう──アンタの過去のデータを書き換えてしまえばね。






ぬこ:何だか恐ろしい話だな。






天使:だけど、人間の脳はそんなふうにはできていない。人間の脳は過去のデータを一定の領域に格納しておくということをしていない。だから人間はハードディスクとは異なる方法で物事を記憶しているの。






ぬこ:あ、なんか本で読んだことあるな。人間は物事の記憶をシナプスの配線パターンに刻んでいるとかなんとか…。



脳の可塑性と記憶 (岩波現代文庫)

脳の可塑性と記憶 (岩波現代文庫)




天使:ほほぅ…。なかなかわかってるじゃないの。じゃあそれについてちょっと考えていきましょう。まず、人間の身体はたくさんの細胞でできていることは言うまでもないわね?






ぬこ:そうだね。およそ37兆個といわれているそうだが。






天使:うん。だから人間の脳も、当然のことながらたくさんの細胞から構成されている。脳はおよそ1000億個以上のニューロン(=神経細胞)と、そのニューロンの働きを支えるグリア細胞から成り立っている。



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ニューロン神経細胞)の図】



天使:そして、ニューロン同士はシナプスと呼ばれるわずかな隙間をはさんで繋がっている。ここまではいい?



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シナプスの図】



ぬこ:うん。






天使:アンタがものを見たり聞いたり、身体を動かしたり、考えごとをしたりしている時、脳内ではさまざまな信号が飛び交っている。①外界からの情報はまず電気信号に変換されて、ニューロンを通っていく。②信号が軸索の末端まで来たら、シナプス間隙(かんげき)を化学物質が飛び交う。例えば、ドーパミンとかアセチルコリンとかグルタミン酸とかいう物質ね。これらは神経伝達物質と呼ばれているわ。③そして②の入力がある閾値に達すると、次のニューロンが「発火」して、軸索を再び電気信号が通っていく。



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【信号伝達の様子】



天使神経伝達物質シナプスを飛び交うことで、アンタの情動とか思考とか身体の動きとかが生み出される。たとえばドーパミンは快感を生み出し、アドレナリンは興奮作用をもたらし、セロトニンや、俗にGABAと呼ばれるγ-アミノ酪酸は精神を安定させる作用をもつ。身体を動かす時は神経終末から筋肉に向かってアセチルコリンが放出されるし、グルタミン酸は記憶や学習、認知機能に関わっていると言われているわ。…と、まぁこれが生きている間にアンタの脳内で起こっている現象ね。






ぬこ:うん。…それで?






天使:これが人間の記憶とハードディスクとの違いに繋がるの。人間は人生の中で経験したり学んだりしたことを、こうした脳内で発火する信号の経路パターンとして保持する。0と1のビット列として脳内に格納するわけじゃない






ぬこ:はぁ、なるほど。でも何だかわかったような、わからないような…。






天使:じゃあ、こう考えてみましょ。人間の身体は細胞からできている。細胞は代謝によって常に入れ替わっている。数年も経てば、アンタの全身の細胞はまったく新しく入れ替わってしまう。






ぬこ:マジか。






天使:ところがニューロンは別で、基本的には一生同じものを使い続ける。なぜかといえば、それは記憶を保持しておくためよ。もし、ニューロンが他の細胞と同じように、数年で全部入れ替わってしまったとしたらどうなると思う?






ぬこ:そうだなぁ…記憶が全部リセットされちゃう…とか?






天使:そう。そんなことになったら大変よね。記憶が自我を保っているんだから。数年経ったら過去の記憶が全部パァになったら、<私>という存在の安定性がなくなっちゃうでしょ。






ぬこ:たしかに。






天使:だからニューロンは基本的に一生入れ替わらない。ということは、記憶というものがどこにあるかといえば、それはニューロンに関係する部分のはず。そう考えられるでしょう?






ぬこ:その通りだ。






天使:でも、さっきも言ったように、ニューロンはあくまでも電気信号の通り道であって、ニューロンそのものに情報が書き込まれているわけじゃない。






ぬこ:うん。






天使:ということは、記憶の保存所として考えられそうなのはあとひとつ。さぁ、どこ?






ぬこ:え? うーんと、えーっと…わかりません。






天使:ズコー。何でよ。ここまで言えばわかるでしょ。ニューロンニューロンの繋ぎ目であるシナプスがその答えよ。






ぬこ:あ、そうか。






天使:ハァ、まったくニブイんだから…。じゃあ、ここまで話したことをちょっと整理するわね。人間は膨大な記憶容量をもつ生物である。したがって、過去に経験したり学んだりしたことを記憶しておくことができる。それによって、一人ひとりの人間はそれぞれ固有の自我をもつ。<私>という存在はこうした膨大な過去の記憶に支えられて成り立っている。記憶は脳内にデータの塊として保存されるのではなく、シナプスの結合パターンとして保持される──こんな感じかしら?






ぬこ:なるほど。だけど、シナプスの結合パターンとして記憶が保持されるってどういうこと?






天使:うーん、そうねぇ…。説明するのがちょっと難しいんだけど、まぁこういうことよ──アンタが経験するあらゆる事象は、アンタの脳内で電気的・化学的信号に変換される。それぞれの出来事はそれぞれに特有のシナプスの経路を信号が伝わることで経験される。たとえば、ご飯を食べている時はご飯を食べている時の神経経路が、お風呂に入っている時にはお風呂に入っている時の神経経路が発火することによって経験される。あるいは、家族や友人や恋人なんかとどこかへ出掛けた時には、その時の周囲の情況や感じたことなどが、それ特有のパターンの神経経路を発火させる。






ぬこ:はぁ。






天使:発火のパターンが違ってくるのは、それぞれの出来事によって使う脳の部位が異なるからよ。食べる時とお風呂に入る時と誰かと出掛ける時では、使う脳の部位が違うのはイメージできるでしょ?






ぬこ:うん、まぁ…。






天使:そうした神経の発火パターンをシナプスに刻み込んでおくことで、人間は物事を記憶している。後で記憶を思い出すときは、過去に感じていた時と同じような神経経路を発火させることによって思い出す。もちろん、まったく同じパターンを発火させることはできないけど。なぜなら、神経は感覚器官と密接に結び付いているから、実物がなければ過去とまったく同じパターンの神経を刺激することはできないからね。実際に目で見た景色を、頭の中でまったく同じように再現するのは不可能でしょ? でも、そうすることによって過去の出来事を頭の中で擬似的に追体験することはできる。これが記憶の想起ってやつね。






ぬこ:はぁ、そうですか…。






天使:…何かイマイチ納得してないって顔ねぇ。ちょっとわかりにくかったかしら? じゃあもうひとつ違う例を挙げてみましょ。






ぬこ:お願いします。






シナプス形成と学習の仕組み




天使:たとえば、外国語を習得するときのことを考えてみて。アンタが英会話をできるようになりたいと思って、英会話学校に通うなり、テキストや音声ファイルで独習するなり、海外に留学へ行くなりするとしましょう。






ぬこ:ふむ。






天使:はじめのうちは相手が何言ってるのかわからなくてチンプンカンプンでしょうし、自分も伝えたいことがなかなか上手く言えなくて歯がゆくなるでしょう。






ぬこ:まぁ、そうだろうね。






天使:だけど、ずーっと英語に接しているうちに、だんだんと相手の言うことがわかってくる。自分も言いたいことが口をついて出るようになってくる。






ぬこ:うん。






天使:それはなぜかといえば、アンタの脳内で英語を聞き取ったり話したりするシナプスの回路が形成されてくるからよ。






ぬこ:あ、なるほど。






天使:でも、人間の脳はコンピュータとはわけが違う。だから英会話のような技能を習得するにしても時間がかかる。コンピュータだったらソフトをインストールすればそれで済むけど、人間の脳が新しいシナプスを形成するためには、何度も同じような刺激を与え続けなければならないの






ぬこ:そうか。だから英会話をマスターするためには、ひたすら英語に接して脳を英語に慣れさせなければいけないわけだね。






天使:そういうこと。それから、もう少し細かい話になるけど、英会話といってもその習熟度は人によって差があるわね?






ぬこ:うん。






天使:たとえば、意識して聞き取らないと相手が何言ってるのかわからないという人もいれば、どんなに早口でしゃべられてもちゃんと聞き取れる人もいる。どうしてかというと、それはシナプスには配線パターンの違いだけじゃなく、結合強度の違いもあるからよ。






ぬこ:結合強度の違い?






天使:そう。結合強度とは、言い換えればシナプスを通る信号の伝達効率のことね。






ぬこ:伝達効率…。






天使:つまり、何度も同じ刺激を与え続けるとシナプスの伝達効率が上がって、信号が通りやすくなる。反対に、あまり使われなくなったシナプスの伝達効率は下がって、信号が通りにくくなる。信号の伝達効率が上がることを、シナプスの結合強度が強くなると言うわけね。ここまではいいかしら?






ぬこ:うん。要するに、よく使うシナプスの伝達効率は上がって、あまり使わないシナプスの伝達効率は下がるということだね?






天使:そういうこと。これは脳科学の分野でヘブの法則、ないしヘブ則と呼ばれているやつね。何度も刺激を与え続けると、二つのニューロン間の信号伝達効率が持続的に向上するようになるの。これを長期増強LTP:Long Term Potentiation)と言うわ。反対に、持続的に伝達効率が下がることを長期抑圧LTD:Long Term Depression)と言う。まぁ要するに、普段からよく使う神経回路のシナプスは、安定して強化されるってこと。これらは記憶や学習、運動を支える脳の重要な性質だから覚えといて。



※参考



ぬこ:ふむ。






天使:で、このヘブの法則が英会話の習熟度にも関係してくるわけよ。何度も同じ刺激を与え続けることによって、シナプスは強化される。ということは、何度も英語に触れることによって、英会話に必要な神経回路のシナプスが強化されてくる。こういう理屈ね。






ぬこ:なるほど。人によって英会話の習熟度に差が出るのは、英会話をする時に使うシナプスの結合強度に差があるからなんだね?






天使:そう。長く英語に接するにつれて、英会話に必要な神経回路のシナプス結合が強化されていく。そうなると、もうほとんど意識しなくても相手の言うことが聞き取れるし、言いたいことがスムーズに言えるようになる。それは英会話をする時に、脳内で発火する神経回路の信号伝達効率が高まっているからだと考えられるわ。






ぬこ:うーむ、なるほど。じゃあ逆に言えば、英語が聞き取れないってことは、リスニングに必要な回路が上手く形成されていない──つまり、信号の伝達効率が悪くて、耳から入ってきた英語の信号を脳内で上手く処理できないってことを意味するんだね?






天使:そういうことよ。…どう? これで記憶や学習がシナプスと関係していることのイメージがだいたい掴めたかしら?






ぬこ:うん。まぁ、なんとなくは。






神経可塑性は遺伝子の制約を打ち破る




ぬこ:…で、僕たちは何でこんな話をしていたんだっけ?






天使:だからぁ、それはアンタのバカみたいな考え方を修正するためよ。






ぬこ:バカみたいな考え方だって?






天使:遺伝子が人生を決定するっていう阿呆みたいな運命論よ。






ぬこ:あ…。そういえば、そうだったね。






天使:そうよ。ここまで人間は過去に縛られる存在だとか、シナプスがどうだとかいろいろ話してきたけど、それらはアンタのバカ遺伝子運命論を打ち砕くための下準備だったってわけ。もちろん、遺伝的な要素はまったく関係ないなんて言うつもりはないわ。アンタの身体はアンタの自由意志で出来上がったわけじゃないからね。






ぬこ:…と、言いますと?






天使:アンタがどう望んだって足掻いたって、猫や鳥になることはできないってこと。アンタの父親精子が母親の卵子と結合した瞬間から、アンタはホモ・サピエンスとして生きていくことが決定されていた。それは進化の過程を経てデザインされ、DNAの塩基配列としてあらかじめアンタのゲノムに書き込まれていたものだからね。でも、だからといってアンタがどういう<人間>になるのかまで遺伝子が決めるわけじゃない






ぬこ:お、おぅ…。






天使:なぜなら、シナプスには可塑性(かそせい)があるからよ。






ぬこ:可塑性?






天使:そう。つまり、シナプスの配線パターンは組み換え可能なの。英会話の例でみたように、人間の脳は何度も刺激を与え続けることによって、新しいシナプスを形成することができる。以前とは異なるシナプスの結合パターンを獲得することによって、その人は新しい技能や行動パターンを身につけることができる。この可塑性という性質が、人間を遺伝子の制約から解放するのよ






ぬこ:ふーむ、なるほど…。じゃあ僕のネガティブな思考回路も、シナプスの配線パターンを変えれば直るってこと?






天使:ええ、そうよ。アンタは生まれつきネガティブでコミュ障で薄暗い人間だったわけじゃない。アンタはこれまでの人生経験の中で、ネガティブな思考回路を「身につけて」しまったの。






ぬこ:僕が…ネガティブな思考を身につけた…?






天使:そうよ。思い出してご覧? アンタがまだ小さかった時のことを。






ぬこ:小さかった時…。






天使:アンタの過去をのぞかせてもらったけど、アンタって幼稚園や小学生の頃は随分と明るい子だったじゃないの。






ぬこ:え? そう…だったかなぁ?






天使:忘れたの? いつも友達の輪の中心にいて楽しそうにしていたあの頃を。クラスのレクリエーションの時間には、皆の前でマジックや漫才だって披露していたあの頃を。






ぬこ:…。






天使:女の子とだって普通に会話していたし、そこそこ女子からの人気だってあったじゃないの。






ぬこ:う…。や、やめてくれ。そんなの…。あ、あれは…あれはもう昔のことだ。過ぎ去ったことだ。あれは幻なんだ。天使さんもさっき言ってたでしょ、過去なんか存在しないって。だから、あの頃の僕はもう存在しないんだよ。






天使:は? 何言ってんの? たしかに、あの頃の時間は物理的にはもう存在していない。だけど、アンタの記憶の中にはしっかりと存在している。それは、アンタのシナプスにちゃんと刻み込まれているはずなのよ。アンタはもとからネガティブだったわけじゃない──まずはこれを認めなさいよ。






ぬこ:…。






天使:いい? シナプスの可塑性はマイナスにも働くの。なぜなら、長く使われなくなった神経回路のシナプスは削ぎ落とされてしまうからよ






ぬこシナプスが削ぎ落とされる…?






天使:そう。ヘブの法則を思い出して。あまり使われなくなった神経回路のシナプス結合は弱くなっていくの。そして、しまいには不要なものとして削除されることだってある。そういうふうに脳はできている。






ぬこ:ふむ。英会話の例で言えば、以前のようにスムーズに英語を話したり聞き取ったりすることができなくなるってこと?






天使:そうよ。「神経可塑性」というこの脳の性質は、アンタの人格形成にも大いに関わっている。ネガティブな思考ばかりしていると、ネガティブな神経回路が強化されていく。反対にポジティブな回路のシナプス結合はだんだんと削ぎ落とされていく。これが何を意味するかわかるわね?






ぬこ:つまり、僕は…元からネガティブだったわけじゃなく、自らネガティブな回路を持つ人間になってしまったと?






天使:そういうことよ。小学生の頃まではアンタは比較的明るい子だった。それが中学高校あたりから、いろんな挫折や失恋や嫌な経験を積み重ねるうちに、アンタは自尊心を徐々に失っていった。「自分は価値のない人間だ」「存在する意味のない人間だ」と繰り返し頭の中で考えているうちに、いつしかそう思うのが当たり前になってしまった。それは、そういう思考パターンを生み出すシナプス結合が強化されてしまったからよ。






ぬこ:うーん、なるほど…。






天使:反対に、自分のことをポジティブに捉える思考回路は削ぎ落とされていった。ポジティブに考えるシナプスの結合強度が弱まってしまった──言い換えれば、ポジティブ回路を形成する脳内信号の伝達効率が悪くなった。だからアンタは物事をポジティブに考えることに抵抗感を抱くの。…これがアンタの腐った脳ミソの中身、ネガティブシンキングの正体よ!






ぬこ:な、なんてこった…。それじゃあ僕は、何年も何年もかけて自らの手で自分を暗い人間にしてしまったというのか。






天使:まぁ、そういうことね。「人間は過去に縛られる存在」って前に言ったけど、それは神経可塑性という脳の性質がそうさせているのよ。過去の経験の積み重ねが、その人の脳内に特有のシナプス結合パターンを築き上げる。そうして築かれた神経回路は、何度も何度も繰り返し刺激を与えられ続けることによって強化されていく。結合強度が強くなったシナプス経路の信号伝達効率は上がり、その人に特有の思考や行動パターンとなって現れる。これが、いわゆる無意識の「クセ」、あるいは「習慣」ってやつね






ぬこ:なるほど。てことは、つまるところ僕の苦悩というのは、過去の僕の思考や行動の積み重ねが産み出した、いわば負の遺産なんだね。






天使:うん。そしてその過去の蓄積はアンタのシナプスにしっかりと刻み込まれている。だから「人間は過去に縛られる存在」なの。






ぬこ:そんな…。じゃあ僕はどうすれば…?






天使:少しずつリハビリしていくのよ。






ぬこ:リハビリ?






天使:そ。神経可塑性を活用するの。アンタの人格はアンタのシナプスの配線パターンとして脳内に刻印されているんだから、その配線パターンを変えていけばいいのよ。






ぬこ:でも、人間の脳はコンピュータとは違うから、そんな簡単にはいかないんじゃないの?






天使:もちろんよ。だからリハビリするの。人は自ら築いたシナプスの配線パターンに従って行動する傾向がある。つまり、自身の経験に基づいた習慣に依存しやすいってこと。その方が抵抗が少なくて楽だからね。日頃自分が行っている行動パターンや考え方を変えるのは容易じゃない。でも、もしアンタが本気で変わりたいと思うのなら、少しずつ、辛抱強く、自らの言動パターンを変えていくしかないわね。はじめのうちは非常に抵抗があるかもしれないけど、要は習慣の問題よ。






ぬこ:つまり、自分の習慣を少しずつ改めていって、新しいシナプスの配線パターンを作れってこと?






天使:ざっくり言えばそんな感じね。でも、だからといって初めから意気込んで何もかも変えようと焦らないでよ。これまでアンタが考えていたように、人には生まれつき神経過敏な人とそうでない人がいる。アンタのように高反応型の神経系をもつ人間は、突然の変化に敏感に反応しやすい。だから初めから何もかも変えようとすると、かえって反動で気分が落ち込んでしまう可能性がある。それを防ぐために、少しずつ、無理のない範囲で習慣を変えていくことが大事よ






ぬこ:うん、そうだね。…で、具体的にはどうしたらいいのかな?






天使:たとえば、通勤時にいつもとは違う道を通って駅まで歩いてみるとか、毎朝起きる時間を少し早めてストレッチや瞑想をするとか、仕事のやり方をちょっと変えてみるとか、料理を始めてみるとか、部屋の片付けをするとか、新しい趣味を見つけてみるとか、とにかくほんの些細なことでいいから、日常にちょっとずつ変化を加えていくの。






ぬこ:ふむ、なるほど。でも、それで僕は変われるのかな?






天使:そんなの、やってみなくちゃわからないわよ。リハビリのつもりで、まずはやってみなさいな。






ぬこ:まぁ、そうだけど…。






天使:じゃあ、目標を立てましょう。






ぬこ:目標?






天使:そう。それはアンタが生きてることが楽しいと思えるようになること。これでどう? アンタが人生に絶望を抱くんじゃなくて希望を抱けるようになること。それがアンタの精神的リハビリの目標よ。そうなるまで日常にほんの少しずつ変化を取り入れてみるの。わかった?






ぬこ:うーん、そうか。まぁとりあえずやってはみるよ。






天使:そうよ。やってみなくちゃ何も変わらないもの。はじめの方で言ったけど、人間には意志の力がある。意志の力によって、シナプスの配線パターンを変えていくこともできる。神経可塑性を上手く活用するの。そうすれば、遺伝的な制約を精神的に克服することだってできるはず。そう信じてリハビリしなさいな






ぬこ:人生を左右するのは遺伝子じゃなくて精神ってことか。でも、内向型の遺伝子を持つ僕にはなかなか難しそうだな。本当に克服できるだろうか?






天使:ハァァ~、まったく…。アンタっていうのは、二言目には「でも」とか「だけど」って言う。まず、そっから変えていかなくちゃ。いちいち口答えしないで、もっと素直になりなさいよ!






ぬこ:うっ…。で、でも






天使:ホラ、それ‼






ぬこ:あっ…。






天使:もぅ、アンタはいちいち立ち止まり過ぎなのよ。思考を巡らす前に、ちょっとは行動してみなさいよ。考えるのはその後だっていいじゃん。もしくは動きながら考えればいいのよ。その方が行動の結果が常にフィードバックされるし、思考の幅の拡張にも繋がるでしょうが! あのデカルトだって、ずっとひきこもって思索に耽っていたわけじゃない。ヨーロッパ中を旅してさまざまな経験を積むことによって、偉大な思想に到達したの。次の言葉をよく噛みしめなさいよ。


こういうわけで私は、成年に達して自分の先生たちの手から解放されるやいなや、書物の学問をまったく捨てたのである。そして、私自身のうちに見いだされうる学問、あるいはまた世間という大きな書物のうちに見いだされうる学問のほかは、もはやいかなる学問も求めまいと決心して、私は私の青春時代の残りを旅行に用い、あちらこちらの宮廷や軍隊を見、さまざまな気質や身分の人々を訪れ、さまざまな経験を重ね、運命が私にさしだすいろいろな事件の中で私自身を試そうとし、いたるところで、自分の前に現れる事物について反省してはそれから何か利益を得ようとつとめたのであった。 というのは、めいめいが、自分にとってはたいせつで、判断を誤ればすぐにその結果によって罰せられるほかないような事がらについて、なすところの推理の中には、学者が書斎でたんなる理論についてなす推理の中によりも、はるかに多くの真理を見つけだせると私には思われたからである(『方法序説』より)

方法序説・情念論 (中公文庫)

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天使: 部屋にひきこもってあれこれと無駄に考えているよりも、世間という大きな書物から学びとって考えることの方が、はるかに多くの真理を見つけることができるって言ってるわ。アンタもちょっとはデカルトを見習いなさいよ。






ぬこ:う、うん。たしかにそうだね。これからは僕もちょっとずつ、世間という大きな書物をひもといてみることにするよ。






天国など存在しない──大事なのは彼岸ではなく此岸




ぬこ:ところで、今までの話をざっくりと総括すると、僕を<僕>たらしめているのは、シナプスの結合パターンと強度ってことになるね。






天使:まぁ、大雑把にまとめればそうなるわね。






ぬこ:でもさぁ、何だかそう言われると、人生のすべては脳内で飛び交っている信号のやりとりに過ぎないような気がするんだけど…。






天使:そうよ。






ぬこ:え⁉ そうなの?






天使:そうよ。あら、今まで気づかなかったかしら? 前回ワタシが言ったことを思い出して。この世界は神様が創ったゲーム世界だってことを。



sonzai-yamai.hatenablog.jp



天使:アンタはこの「現実」という名の、神様が創ったゲームをプレイするいちプレーヤーなの。そして現実というこのゲーム世界は、コンピュータゲームと同じようにできている。アンタがコンピュータゲームをプレイする時のことを考えてごらん? ゲームはディスプレイ上で展開されるけど、コンピュータというハードウェアの中でゲームをするわけじゃないでしょ?






ぬこ:まぁ…。






天使:コンピュータの中ではひたすら電気信号が飛び交っているだけ。それと一緒よ。アンタが人生で経験するすべての出来事は、脳というハードウェア内の信号で処理される。アンタは網膜というディスプレイを通じてこのゲーム世界を見ている。「現実」というこの世界の構造はコンピュータゲームと同じ仕組みよ






ぬこ:うーん、すべては脳で起こっていることに過ぎないと…。まるで唯脳論(ゆいのうろん)だな。



唯脳論 (ちくま学芸文庫)

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天使唯脳論ね。だけど、実際はすべてを脳という物質に還元することは間違ってるわ。もしそうだとしたら、脳が死んだらアンタの自我も消滅することになってしまうもの。






ぬこ:え!? 違うの? 脳が死んだ後も<僕>という自我は存続するってこと?






天使:そう。これも前回言ったけど、アンタは「現実」というこのゲーム世界で、とある使命を果たさなければならない。使命を果たすまで、アンタは何度も同じ人生をやり直すことになる。






ぬこ:何度も人生をやり直す…。ニーチェの言う「永遠回帰」みたいなものか?






天使:まぁそんな感じね。でも、現実世界はここだけじゃない。アンタが使命を果たせば、<この世界>の永遠回帰からは脱却できる。そしてアンタの自我は死んだ後、次のステージへと転送される。アンタはそこで<次の世界>の永遠回帰に組み込まれることになる。それがこのゲーム世界の構造よ。






ぬこ:ひぇー、マジか。なんかイヤだなぁ。それじゃあ生の苦しみがいつまでも続くみたいじゃないか。この世界に永遠の安らぎはないんですか? 極楽浄土はないんですか? 天国に行く方法はないんですか?






天使:ハァ。これだからニートは駄目なのよ。






ぬこ:いや、いちおう働いているんですが。






天使:アンタの根性がニートだって言ってるの。この精神的ニートが! いい? まず、天国とか極楽浄土なんてものは存在しないってことを肝に銘じて。いや、もう肝に突き刺して。






ぬこ:えぇぇぇ! そ、そんな殺生な…。






天使:は? なに言っちゃってんのよ。だいたい現代人は、宗教とかスピリチュアルなんてろくすっぽ信じないくせに、どうして死んだら天国に行けるなんて思えるのよ。それが不思議でしょうがないわ。






ぬこ:う…。だ、だって、そうとでも考えなきゃやってられないでしょうが。現実世界は辛いことばかりなんですよ。生きることは大変な苦行なんですよ。だからせめて死んだ後ぐらい楽したいと思いたいじゃないですか。






天使:ハァ…なんかアホくさ。それってただの現実逃避じゃん? そうやって現実を直視しようとしないから、いつまで経っても人生が楽しく思えるようにならないんじゃないの?






ぬこ:なんだって?






天使:そもそも、永遠の安らぎって何さ? 何の苦痛も不安もない状態が永遠に続くってこと?






ぬこ:え? そ、そうだけど?






天使:それは無理な相談ね。何の苦痛も不安も感じないってことは、それは何の神経系も持たない存在ということになるわ。たとえば石ころのような無機物とかね。






ぬこ:お、おぅ…。






天使:でも、神経系を持たないってことは、プラスの感情ももつことはできないってことよ。「安らぎ」を感じるためには、たとえばセロトニンのような神経伝達物質シナプスを飛び交わなければならない。だけど神経系を持たなければ、安らぎすらも感じることはできない。つまり、永遠の安らぎなんてものは存在しないのよ。






ぬこ:う…。ぐぬぬ…。






天使:それとも、アンタは石ころにでもなりたいって言うの?






ぬこ:そ、それは…。でも生きることの苦痛から解放されるなら、石ころでもいいかも。






天使:ハァ? 本当にアホくさ。あのさぁ、そんなふうに考えてもしょうがなくない? 仮にアンタが石ころになれたとしてもだよ? 石には神経系も細胞もDNAもないんだから、そこには何にもないの。思考や感情はおろか、何も見ることはできないし、何も聞くことはできないし、何の香りもしないし、何の感触も感じないし、何の代謝も起こらない──つまりは「無」と同じよ。






ぬこ:無! いいね、最高じゃないか。無になるのが一番だよ。






天使:バカ‼ まったく、低脳にもほどがあるわ。よく考えてご覧なさいよ? 無なんて、ただの概念じゃない。そもそも無に「なる」なんて不可能だし、意味ないよ。






ぬこ:??? どうして?






天使:「~になる」ってことは、~の状態に移行するってことでしょ? でも「~の状態」っていうのが、そもそも無ではない。そこには~の状態が「ある」ことになってしまうからね。だから、無「になる」ことはできない。






ぬこ:そ、そんなのはただの言葉遊びだ! 無はあるんだよ!






天使:無は「ある」って言い方もおかしくない? 何もないことが無なはずなのに、無は「ある」って言ったら、そこにはやはり何かが「ある」ことになってしまうわ。






ぬこ:むむむむむ…。屁理屈だ。そんなのは屁理屈だ!






天使:そうかしら? ワタシには「無」はただの概念にしか思えないんだけど? 無「になる」こともできなければ、無「である」こともできない。なぜなら、「~である」からには、「~」という存在を前提することになってしまうからね。つまり、何かが「ある」ことになってしまう。だから無「である」ことも不可能よ。とすれば、どう足掻いたって「無」なんてものはないとしか言いようがないじゃない?






ぬこ:くっ…。天使さんもいじわるだな。わかりましたよ。じゃあ「無」はもう諦めます。ええ、ええ、諦めますとも! そもそもこうして僕は生きているのだし、生きてしまっている以上、少なくとも死ぬまでは「無」なんか考えたって意味ないですしね。






天使:そうよ。それに、ワタシは何も意地悪で言ってるわけじゃない。アンタに現実と向き合ってもらいたいから言うのよ。彼岸のことにいくら思いを巡らしたところで、現実は何ひとつ変わりはしない。大事なのは、今のアンタがこの人生をどう生きるかじゃないの? アンタには【使命】があるんだから。その使命を果たすのが、このゲーム世界のプレーヤーであるアンタたち人間の生きる意味なの。それ以上でも以下でもない。人生についてウダウダ考えて絶望しててもしょうがないんだよ






ぬこぐぬぬぬぬ…。悔しいが正論と言わざるを得ない。






天使:ほら、あの有名な心理学者のヴィクトール・フランクルも述べていたでしょ? 「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」って。アンタが人生に何を求めているのかは問題じゃない。そうじゃなく、人生がアンタに何を求めているのかが大事なのよ。


 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
 生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄(ろう)することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(『夜と霧』より)

夜と霧 新版

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ぬこ:『夜と霧』ね。たしかにあれは名著だ。僕も読んでいろいろと考えさせられたよ。でも、あの本は最初から通読してナチス政権時のアウシュヴィッツ追体験することが大事なんじゃない? 人生の意味のコペルニクス的転回の部分だけを引用したからといって、それが何になるというんです? 僕にはまた安っぽい自己啓発の類いにしか聞こえないのだが?






天使:もー、イライラするわね! どうしてアンタはそうまでしてひねくれるのよ! 考えてもみなさいよ。天国や極楽浄土なんてものはない。永遠の安らぎなんてものはただの幻想。死はひとつの生の区切りに過ぎない。死んだらまた新たな生が始まる。ただ、それだけ。だとしたら、大事なのは死んだ後のことじゃなくて、今のこの生のはず。終わりなき生を充実したものにすることの方が、死後に想いを巡らしていることよりもよっぽど重要だとは思わない?






ぬこ:うっ…そ、それはもちろん、そうだとは…思うよ。けど…内向型の遺伝子を持つ僕にとっては、現実というこのゲームは難し過ぎるんだよ。神経がすり減るばかりで、ちっとも楽しくないんだ。正直、疲れるんだよ。ねぇ天使さん、神様にお願いしてこのゲームの難易度を下げてもらってくれないかな? もしくは、僕のこの忌々しい遺伝子を変えてもらって、もっと生きやすい人間にしてくれよ。そうすれば僕だって、人生についての問いなんかいちいち考えなくて済むはずなんだ。






自分を変えるためには行動するしかない




天使:いい加減にしろー‼






ぬこ:わっ⁉






──天使は思いっきりテーブルを叩いた。顔がみるみる真っ赤になっていく。両手を固くこぶしに握ってぶるぶると震わしている。今にも僕に殴りかかってきそうな勢いだ。僕はとっさに身構えた。






天使:…おい、いい加減にしろよ、このクズニート。そんなこと言ってたらまた振り出しに戻るだろうが。何のためにここまで長々と対話を重ねてきたんだよ? 何なの? アンタは何なの? そうやって、ひねくれて、素直にならないで、自分の考え方に固執して…。そうまでして自分を不幸のうちに留めたいか。ふざけんな! アンタは結局どうしたいの? 変わりたいの? 変わりたくないの? どっちなの? それとも何? アンタは自分のしょうもないエゴを守りたいだけなの? 自分の我を貫いて、悲劇の主人公を演じていたいだけなの? それでアンタは満足か? そんなふうにぐずぐず考えながら一生を終えて満足か? アンタは本当にそれでいいのか?






ぬこ:いや、あの…。と、とりあえず落ち着いて下さい、天使さん。あの…何かすいませんでした。どうか怒りをおおさめ下さいませ。






天使:いいから答えろよ。アンタは変わりたいのか? 変わりたくないのか?






ぬこ:あの、それはもう、変わりとうございます。ええ、変わりたいですとも。薄暗い人生を送るのはもう嫌です。






天使:そうでしょうが! だったら遺伝子がどうとか言ってないで行動しろよ。世間に出て、世間を知って、大人になれよ。自分のみみっちい思想の檻の中に閉じこもってんじゃねぇよ。






ぬこ:は、はい…。おっしゃる通りです…。そ、そうですよね、自分の殻に閉じこもってても、何も変わらないですよね。






天使:そうだよ。そんなくだらない思想や哲学やエゴなんてものは、トイレにでも流してしまえ。結局、アンタが変わるためには行動するしかねぇんだよ。行動していろんな刺激を脳に与えて、シナプスの配線パターンを変えるしか方法はねーんだ。わかったか!






ぬこ:イ、イエス、マダム!






天使:よろしい。






ポジティブな自分に変われないのは無意識のせいかもしれない




──天使は大きく伸びをして、深く息を吐いた。






天使:は~あ…こんなに怒ったのは久しぶりよ。まったく、どんだけアンタは人を苛立たせるのが上手いのかしらね。






ぬこ:すいません…。






天使:さっきも言ったけど、アンタは「でも」とか「だけど」とか言い過ぎよ。ディベートやディスカッションをしているならともかく、普段からそんなふうだと、アンタはこの先なにひとつとして成長できないわ。






ぬこ:…。






天使:否定から入っても良いことなんてないんだよ。デカルトのように、真理に到達するための方法として、あらゆる物事を疑うというのならまだマシだとしても、アンタのそれはデカルトのような方法的懐疑なんかじゃない。アンタの「でも」や「だけど」は、はっきり言って、自分のしょうもないエゴを守るための防衛反応に過ぎないの。言い換えれば、理性に基づく建設的な否定なんかじゃなくて、くだらないエゴイズムを貫くための本能的反射に過ぎないの。だからもうその口癖はやめた方がいいよ。






ぬこ:う、うん…。






天使:ホントにわかってる? 否定癖を直さないと、アンタはこの先変われないよ。






ぬこ:わ、わかってるよ。直しますよ。直せばいいんでしょ。






天使:あのね、「判断においてなにかを否定するとは、根本的には<これは、わたしがもっとも抑圧したいことである>ということを意味する」って、精神分析でお馴染みのフロイトが言ってるわ。



自我論集 (ちくま学芸文庫)

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天使:何かを否定するってことは、「それを受け入れたくない」っていうことの現れなのよ。受け入れたくないことは意識から排除しようとする。つまり、無意識下へ抑圧しようとするの。






ぬこ:うむむ…。






天使:そして、アンタが抑圧しようとしているもの──それは何だと思う?






ぬこ:え? うーん…何だろう? ちょっと、わかんないです。






天使:それは「自分が変わる」ということよ。






ぬこ:え⁉ そんな…。そんなはずはない。僕はもういい加減、自分を変えたいと思ってるよ。






天使:じゃあ何でワタシの言うことをいちいち否定するの? どうして「でも」とか「だけど」と言って、口答えするの?






ぬこ:そ、それは…その…。






天使:それはね、アンタは無意識の内では自分が変わることを拒絶しているからよ。






ぬこ:な、なんだって?






天使:アンタは口では「変わりたいです」と言っておきながら、心の奥底では変わることを極度に恐れている。自我の殻に閉じこもって、他者と関係を持つことを恐れているの






ぬこ:…。






天使:でも、自我の殻を破るためには他者と関わっていかなくちゃ駄目よ。自分一人の力だけじゃ、思考は堂々巡りするだけだからね。






ぬこ:うむぅ…。






天使:アンタが本気で変わるためには、無意識のレベルから変わらなくちゃ。そのためには、アンタが意識から排除しているもの──無意識下へ抑圧しているもの──をもう一度、意識上へすくい上げる必要がある。






ぬこ:抑圧しているものをすくい上げる?






天使:そう。それはアンタが反射的に否定しようとしているものを、もう一度否定することによって、肯定に変えていくの






ぬこ:否定したものをさらに否定する──弁証法ってやつか。






天使:そうよ。アンタは自分が変わることを無意識の内では恐れている。だから自分にとって都合の悪いことを言われると、反射的に防衛機制が働いて、「でも」とか「だけど」といって否定しようとする。やれ安直な精神論だとか、安っぽい自己啓発だとか言って、ワタシの言うことを受け入れようとしないのがその証拠よ。






ぬこ:うーん、そう…なのかな?






天使:そうだよ。何だかんだいって、アンタは無意識に現状維持を望んでしまっている。自分は暗い人間だから…とか、コミュ障だから…とか言い訳をして、他人と上手く関係を結べないことを正当化しているのよ






ぬこ:な、なんだって? 僕が言い訳している…だと?






天使:だって、そうじゃないの? もし、アンタが本気で自分が変わることを望んでいるのなら、ワタシの言うことをもっと素直に受け入れていていいはずよ。だけど、何かと言えばアンタはいちいち反発してくる。なぜなら、アンタは心の底では、自分が変わりたくないと思ってしまっているからよ。






ぬこ:なっ⁉ そ、そんな…。そんなはずは…。いや、でも言われてみればたしかに…。そう…なのかもしれない。僕はもしかしたら、人付き合いが嫌で…だから、人と関わるくらいなら孤独であった方がマシだと…。そんなふうに考えていたのかもしれない。






天使:そう。そうやってまずは自分の<内なる声>に素直に耳を傾けてみるの。それが抑圧を防ぐための第一歩になるから。






ぬこ:そうか…。僕は本心では自分が変わることを恐れている…。人と関わっていくことを拒否している…。でも、じゃあ何で僕はこうなってしまったんだろう? どうして孤独を望むようになってしまったんだろうか?






天使:前に言ったように、それはアンタが「過去に縛られている」からよ。






ぬこ:過去に縛られている…。






天使:そう。過去をよく思い出してみて。アンタはイジメや虐待に遭ったことはある?






ぬこ:いや、ない。






天使:じゃあ、たとえば親友に裏切られたとか、いまだに立ち直れない失恋があるとかは?






ぬこ:うーん、それもないかな。






天使:そう。なかなか難しいわねぇ。もっとよく思い出してみて。アンタが人付き合いを避けるようになった要因が必ずあるはずよ。何でもいい。何か思い当たるフシはない?






ぬこ:うーん…。あ、一つだけある。たぶん、それかもしれない。






天使:うん。それは何?






ぬこ:…高校時代のことだけど、僕はクラスの中で「イジられキャラ」だった。でも、それは望んでイジられていたわけじゃなかった。それが原因かもしれない。






天使:なるほど。もう少し詳しく話してみて。






ぬこ:うん…。その頃の僕は、学校の授業についていけなくて成績が抜群に悪かった。これといった趣味もなく、流行りのものを追いかけたりすることもなかった。いつも無気力で、毎日を無意に過ごしていた。だから僕は、同級生と趣味や共通の話題で会話をするということが上手くできなかったし、周りからはただのバカだと思われていた…と思う。要するに、友達をつくるのが極度に苦手だった。






天使:うん。なるほど。






ぬこ:でも、クラスの中で孤立するのは嫌だったから、どうにかして人の輪の中に入ろうと必死だった。孤立するのはすごく惨めに思われたし、イジメの対象にもされやすかったからね。そうして、いつの間にか僕は「イジられキャラ」になっていた。ふつうの会話ができない代わりに、皆からイジられて、おちょくられて、馬鹿にされて、時々頭を殴られて…それでもヘラヘラしながら受け流すことによって、僕は何とかグループの中に居場所を確保しようと努めたんだ。






天使:そう。






ぬこ:でも、本心ではそれがすごく嫌だった。本当は愚者としてイジられるんじゃなくて、ふつうに接してもらいたかった。だけど、僕はそのフツーができなかったから、ずっと自分を偽り続けて高校3年間を過ごした。






天使:ずっと我慢しながら過ごしたのね。






ぬこ:うん。でも、その反動は大きかった。高校を卒業すると同時に、僕の中の何かがぷっつりと切れた感じがした。僕は大学にも行かず、就職もせず、しばらくの間ずっと家にひきこもって、ゲームばかりしていた。






天使:なんだ。やっぱアンタニートだったんじゃん。






ぬこ:う、うん…。まぁ2浪した後、結局大学には行ったんだけどね。だけどそれ以来、僕は人と関わるのを避けるようになった。人と関わればまたイジられキャラとして振る舞う羽目になるかもしれないから…。だったら、最初から誰とも関わらなければいい。そう思った。幸か不幸か、大学という場所は高校と違って、クラスのような閉鎖的空間がない。人々の流動性も高いし、いろんな人間が出入りしている。だから孤立を気にする必要もなかった。そうして僕は人と積極的に関わるのをやめた。大学ではこれといったサークルにも入らなかったし、ゼミのような固定化されたメンバーの中にいても、週に一度会うだけだったから、表面的な付き合いをするに留めて、深く関わることはなかった。中学・高校時代の同級生からの誘いも時々来たけど、全部断ることにした。






天使:ふーん。人間関係をとことん断ったんだ。






ぬこ:うん。…なんか、今こうして過去を振り返ってみてわかった気がするよ。天使さんの言うように、僕は過去に縛られている。高校時代の経験を今でも引きずっているんだ。それが心の奥底に引っ掛かっていて、今でも他人と関係を持つことを恐れているんだね。






天使:はい、お見事! そこまで気づけたら上出来よ。そしてアンタは自分のことを「コミュ障」だと思い込み、あまつさえ、それを遺伝子のせいにして自我を守った。精神分析用語でいう、「合理化」を行ったわけね。






ぬこ:なるほど…。






天使:でも、アンタは本当にコミュ障なのかしら? 単に「コミュ障」というレッテルを張り付けて、人と上手く会話ができないことを正当化して、現実逃避しているだけなんじゃないかしら?






ぬこ:う…。むむむ…。否定したいところだが、やめておこう。おそらくはそうなんだろうね。






天使:そうよ。そうやって否定しようとする自分をさらに否定してみるの。そうすることで、自分が無意識の内に抑圧しようとしているものを、もう一度意識化することができる。今みたいに、「自分はコミュ障だから人と仲良くできるわけがない」と否定的にみる自分を、もう少し高い次元から──言い換えればメタ的な視点から──さらに否定するの。「そういうふうに思っている自分は、所詮は言い訳をして現実から逃げているに過ぎない」とね。現にアンタは小学生の頃までは、ふつうに人と会話していたし、友達もたくさんつくれていたじゃない?






ぬこ:う、うーん…。






天使否定の否定という弁証法を活用して、自分の無意識と向き合うのよ。否定するぐらいなら、否定の否定をして、より高い次元で肯定せよ! さっきも言ったように、物事を否定するってことは「それを受け入れたくない」っていうことの現れ──つまりは意識から排除したいっていうことの現れなんだから、そういう時こそ、もう一度それを否定することによって、無意識下への抑圧を押し留めるの。






ぬこ:うーん、そうか。でも難しそうだな。無意識の自分と向き合うのは、正直かなりしんどい。自分にとって都合の悪い真実を突きつけられるみたいで…。






天使:ハイ、「でも」いただきました~!






ぬこ:ああ、しまった! つい、また…。






天使:まぁアンタの言うことにも一理あるわ。無意識というのは<恐ろしい力>でもあるからね。実際、無意識と対峙したがために、かえって身を滅ぼしてしまうこともあり得る。統合失調症のような重度の精神病者であれば、安易に無意識と対面させるのは危険をともなうわ。だけど、アンタは別に重い精神病にかかっているわけじゃないでしょ?






ぬこ:まぁ、そうだけど。






天使:だったら、ちゃんと自分と向き合わなくちゃ。もちろん<内なる自分>と対峙することは、非常に不快をともなうことかもしれない。特にアンタのように、<普段の自分>と<内なる自分>が対立している場合はなおさらね。






ぬこ:対立している?






天使:そう。表面的には、アンタは自分が変わることを望んでいる。だけど心の奥底では変わることを恐れ、拒んでいる。心の表層と深層で、望んでいるものが対立しているのね。ベクトルが逆方向を向いてしまっている。






ぬこ:なるほど。






天使:こういう場合は、いくら自分が変わろうとしてもがいても、無意識の抵抗にあってしまう場合が多い。アンタの場合は「ネガティブでコミュ障な自分」という自己像へ回帰しようとしてしまう。






ぬこ:??? どういうこと?






天使:つまり、「どうせ自分はネガティブな人間だから…」とか「僕はコミュ障だから…」とか、何だかんだ理由をつけて、変わろうとする自分を引き戻そうとするの。






ぬこ:うーん、そうか。まるで飼い犬にリードを引っ張られる飼い主みたいな状態だな。






天使:言えてるわね。フロイトも自我のことを「奔馬(ほんば)を御す騎手」になぞらえているわ。あばれ回る馬が無意識で、自我はそれを何とかして制御しようとしている。それだけ無意識の自分と上手く折り合いをつけることは容易じゃないってことね。






自尊心の欠如が<負の信念>を根づかせる







ぬこ:ふーむ、人間は厄介な心理を持つ生物なんだなぁ。






天使:そうね。精神分析の場面においても、カウンセラーが患者を治癒に導こうとすると、しばしば激しい抵抗に遭うことがある。まるで心の病が治ることを拒んでいるかのようにね。フロイトはどうしてそうなるんだろうと深く考えた。考えた末に、次のような見解に到達したの。


 こうした人物が、治癒に近づくことはある種の<危険>であるとみなして、治癒に抵抗することは疑問の余地がない。このような人物の場合は、快癒への意志ではなく、疾患の欲求の方が優位に立っていると言える。この抵抗を通常のやり方で分析すると、医者に対する挑戦の態度と、さまざまな種類の疾病利得への固執を考慮にいれた後でも、まだ大きな部分が残っていて、これが治癒に対する最強の抵抗となっていることがわかる。(中略)
 そして最終的には、これはいわゆる「道徳的な」要因であることが明らかになる。これは罪責感の働きであり、これが疾患に満足を見いだしていたのであり、苦痛という罰を手放そうとしないのである。かなり絶望的な説明であるが、これが究極の答えなのである(「自我とエス」〔『自我論集』所収〕より、太字強調は管理人)

自我論集 (ちくま学芸文庫)

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天使フロイトは抵抗の原因を「罪責感」に見出だしたの。ワタシなりに言い換えれば自尊心の欠如、ないしはそれの著しい低下のことね。






ぬこ:自尊心の欠如…。






天使:「自分は価値のない人間だ」「自分は劣った人間だ」「自分は駄目な人間だ」と思う心理のことね。こうした自尊心の欠如をいつまでも抱え続けていると、やがてそれが<負の信念>となって、その人の心を深く支配するようなる。「駄目な自分」「価値のない自分」という自己像をつくり上げて、そうして築いたマイナスの自己像を頑なに守ろうとする心理が働くようになるの






ぬこ:マイナスの自己像を守る…。






天使:たとえば「自分は駄目な人間だから何やっても上手くいかないんだ」とか「自分は生きる価値のない人間だからこんなに不幸な目に遭っているんだ」みたいな、奇妙な因果関係を信じるようになる。その上、さらに病状が悪化すると「自分はこんなに駄目な人間なんだから、責められてしかるべき存在だ」「自分は生きる価値のない人間なんだから、不幸な境遇にあるのが望ましい」などという非合理な信念を抱くようになる。






ぬこ:非合理な信念…。たしかにそうかも。いつの間にか僕は、そんな非合理な信念を抱いていたのかもしれない…。






天使:こうなるともう、ポジティブな思考をするのが困難になってしまう。「駄目な自分」「価値のない自分」という自己像が心の奥底に根づいてしまって、そうした負の自己像をより強化するような言動パターンをとるようになってしまうの。具体的には自責の念に駆られたり、仕事のミスが増えたり、人間関係がこじれたり、自殺願望が芽生えたりといったことね。仕事のミスが増えるのは、ミスをすることによって「ほら、やっぱり自分は駄目な人間だ」「自分は責められるべき人間だ」という信念を強化するためよ。もちろん、それはワザとやってるんじゃなくて、無意識のうちにやってるんだけど…。これらを総称して、フロイトは「罪責感」という言葉で表現した。






ぬこ:なるほど。だから僕のように自尊心の低い人間は、ポジティブな説得に対して反発してしまうのか。「価値のない自分」というマイナスの自己像を守るために。






天使:そう。アンタのように長年罪責感に囚われた人間は、ネガティブな思考を捨て去って、ポジティブな自分に生まれ変わることに対して、非常な心理的抵抗を覚える。それだったら、今までのように「自分は価値のない人間だ」と思い込んで現実から目を背けることの方が、心理的な負担が少なくて済む。だからカウンセラーの分析や助言に対して抵抗が起こるし、引用したフロイトの言葉を借りれば「苦痛という罰を手放そうとしない」のね






ぬこ:うーむ。要するに、マゾヒズム的な自虐や自罰心に満足を覚えてしまって、自分が変わることを放棄してしまっている、という状態なんだね?






天使:そういうこと。アンタが自分のことをネガティブでコミュ障で価値のない人間だと思っているのは、遺伝子のせいなんかじゃない。フロイトの言うように、それは「道徳的な」要因が大いに絡んでいるの。






ぬこ:つまり、無意識に抱いてしまっている<負の信念>の問題ってことか。そうか、そうだったのか…。何だかだんだんと自分の内面がわかってきた気がするよ、天使さん。






天使:そう。それはよかった。でも、わかっただけで満足しちゃ駄目よ。再三言っているように、結局行動に移さなきゃ何も変わりはしないんだから。






ぬこ:うん、そうだね。まずは少しずつ、自分のやれることから始めてみることにするよ。






回避性パーソナリティ障害と認知の歪みについて




天使:あともう一つ言っておきたいことがあるわ。






ぬこ:えー、まだあるんすか?






天使:何よ、嫌なの?






ぬこ:いや、別にイヤとかそういうわけじゃなくて…。ただ、何というか、その…そろそろ締めて頂かないと、いい加減長くなり過ぎているというか…。






天使:もぅ、うるさいわね! わかってるわよ。でもあと一つだけ言っておきたいことがあるの。






ぬこ:はぁ。何でしょうか?






天使:アンタは自分の苦悩や絶望のことを「存在の病」と名づけて、中二病的な悦に入っているじゃない?





ぬこ:いや、別に悦に入っているわけではないのですが…。






天使:あら、そう? まぁどうでもいいわ。だけどね、アンタのその苦悩はアンタにだけ特有のものじゃないってことは知っておいてほしいの。






ぬこ:ふむ。てことは何かの病気なの?






天使:病気というわけではないわ。でもアンタのそれは存在の病なんかじゃなくて、既に「回避性パーソナリティ障害(回避性人格障害」として知られているものよ。






ぬこ:回避性パーソナリティ障害…。






天使:そう。人格障害の一種なんだけど──まぁ「障害」というとかなり語弊があるかもしれないけど──要は社会的生活を送るのが困難な人格を抱えている人のことよ。






ぬこ:うん。たしかに僕は社会的生活を送るのがだいぶ辛いと感じてる人間のひとりではありますが…。






天使:具体的には以下のような特徴をもつ人のことね。


・非難や排除に対する過敏さ
・自らすすんで社会的孤立を選んでいる
・親密な人間関係を熱望していながら、その一方で、社会的な場面においてはあまりにも引っ込み思案である
・他者との交流を避けようとする
・自分なんかふさわしくないという感覚
自尊感情の低さ
・他者への不信
・極度の引っ込み思案、臆病
・親密さを求められる場面でも情緒的な距離を置いてしまう
・非常に自己意識的(=いわゆる自意識過剰)
・自分の対人関係の問題について自分を責めている
・職能上に問題を生じている
・孤独なる自己認識
・自分は人より劣っていると感じている
・長期にわたる物質依存/乱用
・特定の思い込み(fixed fantasies)に囚われる
Wikipedia回避性パーソナリティ障害」の項目より)




ぬこ:うわ。ほとんどの項目に当てはまってるよ。






天使:そうでしょ? だからアンタの抱えている苦悩は決してアンタだけのものじゃなくて、同じように悩んでいる人は結構いるのよ。






ぬこ:ふーん、回避性パーソナリティ障害か…。それは治せるものなのかな?






天使:そうねぇ…これは人格の問題だから「治す」というよりも、自分がそれと「どう向き合うか」が重要になってくるわね






ぬこ:どう向き合うか…。つまり、自分がどう受けとめるかってこと?






天使:そう。回避性パーソナリティ障害になる人は、感受性が高い人が多いの。アンタの考え方で言えば、高反応型の神経系を持っている人が多いってことね。






ぬこ:ふむ。






天使:感受性が高いってことは、見方を変えれば、環境のちょっとした変化によく気づいたり、想像力が豊かだったりするってことよ。だから有名な作家や音楽家の中には回避性パーソナリティ障害の人がけっこういたりする。森鴎外とか星新一とかベートーヴェンとかね。



※参考
susumu-akashi.com



ぬこ:へぇ~。






天使:感受性の高い人は、いろいろな物事を敏感に受けとめ過ぎるせいで、つい現実から逃げ出してしまうことがしばしばある。そして自分は社会不適合者なんだとネガティブに考えてしまったり、対人関係を避けるようになったり、ひきこもってしまったりする。






ぬこ:ふーむ。






天使:だけど大事なのは、そこで自分を否定し続けないこと。前に言ったように、ネガティブな考え方ばかりしていると、ネガティブ思考が習慣化してしまう。ネガティブな神経回路が頭の中に構築されてしまう。そうなると、現実のすべてが暗いもののように見えてしまう。いわゆる「認知の歪み」に囚われている状態に陥るの。






ぬこ:認知の歪み?






天使:そう。これは認知行動療法のパイオニアであるデビッド・D・バーンズという人が提唱したもので、以下のような10パターンの非合理的な考え方のことをいうの。


認知の歪みの定義


1. 全か無か思考:ものごとを白か黒のどちらかで考える思考法。少しでもミスがあれば、完全な失敗と考えてしまう


2. 一般化のしすぎ:たった1つの良くない出来事があると、世の中すべてこれだ、と考える


3. 心のフィルター:たった1つの良くないことにこだわって、そればかりくよくよ考え、現実を見る目が暗くなってしまう。ちょうどたった1滴のインクがコップ全体の水を黒くしてしまうように


4. マイナス化思考:なぜか良い出来事を無視してしまうので、日々の生活がすべてマイナスのものになってしまう


5. 結論の飛躍:根拠もないのに悲観的な結論を出してしまう
 a. 心の読みすぎ:ある人があなたに悪く反応したと早合点してしまう
 b. 先読みの誤り:事態は確実に悪くなる、と決めつける


6. 拡大解釈(破滅化)と過小評価:自分の失敗を過大に考え、長所を過小評価する。逆に他人の成功を過大に評価し、他人の欠点を見逃す。双眼鏡のトリックとも言う


7. 感情的決めつけ:自分の憂うつな感情は現実をリアルに反映している、と考える。「こう感じるんだから、それは本当のことだ」


8. すべき思考:何かやろうとする時に「~すべき」「~すべきでない」と考える。あたかもそうしないと罰でも受けるかのように感じ、罪の意識をもちやすい。他人にこれを向けると、怒りや葛藤を感じる


9. レッテル貼り:極端な形の「一般化のしすぎ」である。ミスを犯した時に、どうミスをしたかを考える代わりに自分にレッテルを貼ってしまう。「自分は落伍者だ」と。他人が自分の神経を逆なでした時には「あのろくでなし!」というふうに相手にレッテルを貼ってしまう。そのレッテルは感情的で偏見に満ちている


10. 個人化:何か良くないことが起こった時、自分に責任がないような場合にも自分のせいにしてしまう


(『いやな気分よ、さようなら』より)

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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いやな気分よ、さようなら コンパクト版

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※次の記事がより詳細かつ簡潔にまとめてある
http://d.hatena.ne.jp/cosmo_sophy/touch/20050119d.hatena.ne.jp



天使:どう? アンタもこういう考え方に囚われているんじゃないかしら?






ぬこ:うっ…。たしかにそうだ。僕の思考パターンを見事に言い表しているよ。






天使:そうでしょう? でも明らかにこうした考え方は非合理だし、無意味よね。アンタが回避性パーソナリティ障害を克服するためには、この認知の歪みを少しずつ取り除いていく必要があるわ。






ぬこ:ふむ。でも、どうやって?






天使:何度もしつこく言うようだけど、それは行動あるのみよ。頭の中で考えるだけでは駄目で、実際に動いて習慣を改めていかなくちゃならない。バーンズはネガティブな思考を克服するために、頭の中の思考を紙に書き出すことを奨励しているわ。手を動かして実際に紙に書くことも、行動の一貫だからね。






ぬこ:紙に書く…。自己啓発本とかによく載っている方法だね。






天使:そうね。それだけ効果があるってことじゃない? 自己啓発を侮っちゃ駄目よ。






ぬこ:うーん、まぁそうだけど…。






天使:だけど、何? 殴ろうか?






ぬこ:い、いや。なんでもないです!






天使:ふん。とにかく、アンタが自分のことをネガティブでコミュ障で価値のない人間だと思うのは、根拠のない思い込みに過ぎないのだということ、認知の歪みによって形成された非合理な信念に過ぎないのだということを、よ~く肝に銘じておきなさい






ぬこ:う、うん。わかったよ、天使さん。






天使:さて、じゃあここまでの要点をちょっと整理しておきましょうか。ワタシが言うよりも、さっきのデビッド・D・バーンズの言葉を引用する方がいいかもね。ちょっと長くなるけど、大事なことだから全部引用するわ。


 憂うつな気分のときには、自分には何一つ良いところなんてないんだと思い込んでしまうことが多いものです。自分は根っからの悪人で価値なんてないと信じ込んでしまうんです。そんな考えを持ち続けると、ひどい絶望感や自責の念にさらされることになります。耐えられないほど辛いため、ひょっとすると死んだほうがましだとさえ思うかもしれません。だんだん行動力がなくなり、日常の出来事にさえ加わるのが嫌になっていきます。
 これはあまりにも過酷な考え方をした結果の、感情および行動上のネガティブな反応なのですから、まず、自分で自分に価値がないなどと言うのをやめるべきです。しかし、あなたが本当にこのような考えは誤りで合理的ではないとわかるまでは、やめることはできないでしょう。
 さて、ではどうしましょうか? 第一に人の生活は、肉体も感情も思考も行動と同じように絶えず変化している、いわば現在進行形なのだという考え方を持つことです。あなたの生活も、もちろん絶えず進歩し流れていっているのです。「価値がない」とか「劣っている」といった絶対的なレッテルは、論外であり無意味なのです。
 あなたはまだ、自分は二流だと思っていますね。その根拠はなんですか? きっとあなたはこう答えるでしょう、「自分は良くないんだと感じるからです。だから良くないに違いないんです。じゃなければ、どうしてこんな耐えられないような感情を持ちますか?」とね。あなたの間違いは、感情的な理由づけにあります。あなたの気分があなたの価値を決定するのではないのです。気分はただ相対的なものにすぎません。劣悪で悲惨な肉体状況だからといって、人格までそうだということにはなりません。落ち込んだ気分のときは、論理的でない考え方をしてしまうので、こんな考え違いになるのです。
 高揚した気分や幸せな気分が、あなたの価値の目安になるのでしょうか? それとも、それらは単にあなたが今良い気分であるという意味だけなのでしょうか?
 気分はあなたの価値を決定するものではないし、また考えや行動を決めるものでもありません。気分にはポジティブで創造的なもの、勇気づけるものもあります。大部分は中立的なものですが、なかには非合理なもの、自責的なものもあります。こういった気分は、努力しさえすれば変わるものですが、どんな場合でもあなたを否定することはありえません。価値のない人間なんて、この世の中には存在しないのです。
「それでは、どうやったら自己評価を高めることができるのでしょうか?」きっとあなたは尋ねますね。答えは──絶対にやらなければならないなどというものは存在しないということです。あなたがすべきなのは、批判的な内なる声を消し去ることだけです。どうして? 批判的な内なる声は、悪だからです。内面の自虐性は、非合理的で破壊的な考え方に由来するのです。価値がないという思いは真実に基づいているのではなく、うつ病の核である膿のようなものです。
 落ち込んだとき、次の重要な三つのステップを覚えておきなさい。


1 自動的なネガティブ思考に照準を合わせて、それらを書き出しなさい。ただし、頭の中でいじらないで必ず紙の上にすること!
2 十の認知の歪みの表に目を通すこと。バランスを失っているものごとをどう扱うかを正確に学ぶこと。
3 もっと客観的な考えに置き換えること。そうすれば、自分を卑下するような考えが誤りであることがわかり、だんだんと気分が良くなるでしょう。自己評価も高まり、自分は価値がないという思いも消えてゆくでしょう。


(『いやな気分よ、さようなら』より)




ぬこ:身に染みます…。






コミュ障克服のために




天使:で、アンタの場合だけど、アンタの最大の課題はおそらく「コミュ障の克服」になるでしょう。






ぬこ:そうだね。






天使:まずは、さっきも言ったように、アンタが「コミュ障」だと言うのは単なる思い込みに過ぎない。これは認知の歪みの「9. レッテル貼り」ね。そしてアンタは、自分はコミュ障だから人間関係が上手くいかないんだと勝手に決めつけている。これは「5. 結論の飛躍」に当たるでしょう。






ぬこ:うむむ…。






天使:こういう非合理な考え方は一つひとつ取り除いていかないとね。後は実践を積み重ねながら、徐々に修正をしていくしかないでしょう。






ぬこ:実践…。実際に話すってこと?






天使:それ以外に何があるっていうの? 職場でもいいし、旧友に連絡を取るのでもいいし、とにかく誰かと話す機会を見つけて会話の練習をしていかないと。






ぬこ:うぅ、嫌だなぁ。






天使:おい! いい加減にしろよ。自分を変えたいってアンタ言ったでしょうが! それとも、この期に及んでまだ高校時代のトラウマを引きずっているの?






ぬこ:…。






天使:ハァ~。まったくしょうがないわね~。イジられキャラが嫌だって何なのさ? 人と親密な間柄になるためには、ある程度イジりイジられることも大事じゃないの?






ぬこ:…。






天使:もう! 逆に考えてみなさいよ。イジれない人間ってどう思うよ?






ぬこ:イジれない人間…。






天使:そう。相手の立場に立って考えてみなさい。イジれない人ほど近寄りがたい人間はいないんじゃない? これ言っちゃダメかな、あれ言っちゃダメかな、なんていちいち気を使わなきゃいけない人と仲良くなりたいと思う?






ぬこ:そ、それは…。おっしゃる通り。そんな人間はからみづらいですね。






天使:そうでしょ? イジられることを恐れちゃだめ。要は受けとめ方次第なんだよ。アンタはもしかしたらイジられやすい人間なのかもしれない。でも、それって見方を変えれば「接しやすい人」ってことじゃない? それはすごく魅力的な個性につながると思うんだけど?






ぬこ:…。






天使:何黙ってんのよ。いい? コミュ障を克服する上で「イジられてもヘコまない」メンタルをもつことは非常に重要なことよ。この点について、たとえばコミュ障で悩んでいたニッポン放送アナウンサーの「よっぴー」こと吉田尚紀さんが指摘しているわ。


 コミュニケーションというゲームに参加するとき、最低限これだけは身につけておきたいスキルが二つあります。一つは「聞く勇気」を持つこと。自分も相手も黙ったままではすぐに気まずくなります。即アウト。会話を始めるために、どうしても必要なものです。そしてもう一つが、「イジられてもヘコまない」ことです。
 イジられるのが嫌だという気持ちは、コミュ障には典型的な気持ちかもしれません。正直なところ、僕もその気持ちは痛いほどわかります。もちろん、相手を貶めるためだけにイジるのは論外だし、そんなものはコミュニケーションではありません。そうではなくて、相手がその場を楽しくする目的でキツい言葉を投げかけてきたときでも、自分を傷つけようとしてるんだと思ってしまったり、あるいは頭では理解できていても受け止めきれない、笑って返せないことがあります。
 でも、なんとか我慢してほしい。なぜなら、ちょっと我慢するといいことがたくさんあるから。数回こらえて、周りから「イジっていい人」だと思われた瞬間、パッと景色が変わります。イジられて笑える人って、みんなから重宝されるし、それだけで魅力的ですよね。コミュニケーションの場においては、面白い人がいたら全員がすごく楽になるんです。きっとコミュニケーションが協力プレーだということの意味がわかるし、少しずつ我慢しているという意識もなくなって、「イジられたらラッキー!」と思えるようになるはずです(『コミュ障は治らなくても大丈夫』より)



※こちらのインタビュー記事も参考
gigazine.net



ぬこ:うーん、そうか…。やっぱりメンタルを鍛えなきゃ駄目か。






天使:そんなふうに気負う必要はないわ。よっぴーの言うように、コミュニケーションを「ゲーム」として捉えればいいのよ。ゲーム感覚で楽しめばいい。






ぬこ:ゲーム…。






天使:そう。「会話が途切れないようにするゲーム」ね。初めのうちは上手くいかないことばかりかもしれない。でもゲームだと思えば、失敗したってヘコたれることないじゃない? 上手くいくこともあれば失敗することだってある。失敗したなら、次は別のやり方を試してみればいい。それがゲームってもんでしょ?






ぬこ:ふーむ…。






天使:前にも言ったように、そもそもこの世界そのものが究極のVRゲームなんだから、人生はゲームだと思って気楽にプレイすればいいのよ。ただし、セーブやリセット機能はないけどね、フヒヒ。。。アンタがやるべきことは経験値を稼いで自身のレベル上げをすること。コミュニケーションだって要は技術なんだから、経験を積んでスキルを磨けばいいのよ






ぬこ経験値を稼いでレベル上げをしろと…。ドラクエ的な?






天使:そうよ。レベルが上がれば冒険できる世界が広がるように、たくさんの経験を積めば、アンタの人生だって無限に可能性が広がっていくのよ。






ぬこ:うーん、そうか。






天使:これも前に話したけど、人間の脳は可塑性という性質をもっている。たくさんの経験を積んで脳に新鮮な刺激を送り続ければ、やがてシナプスの配線パターンも変わってくる。コミュニケーション能力もそう。普段から人との会話を避けていると、だんだんと会話をするための神経回路が鈍くなってくる。つまり、シナプスの結合強度が弱くなって、会話をするのに必要な脳内信号の伝達効率が悪くなってしまうの。でも逆に考えれば、普段から人と積極的にコミュニケーションを取っていれば、それだけ会話ができる神経回路が強化されていく。英会話の習得と同じようなものよ。コミュニケーション・スキルも努力によって習得可能。要は学習と慣れの問題ってわけ






ぬこ:なるほど。場数を踏めってことか。






天使:そゆこと。あとはアンタがやるか、やらないか、それだけよ。それは遺伝子の問題じゃなくて意志の問題よ。






ぬこ:ううむ…。やるか、やらないか、それが問題だ。






遺伝子は隠しパラメータ




天使:さて…。じゃあそろそろ天界に帰ろうかな。






ぬこ:ふぅ。






天使:何よ、そのようやく帰ってくれてせいせいするわ、みたいな反応は?






ぬこ:い、いや、そんなことないですよ! いろいろとためになる話をありがとうございました。






天使:何度もだめ押しするけど、結局は行動しなければ何も変わらないからね。それだけはよく覚えておきなさい。






ぬこ:わ、わかってるよ。






天使:じゃあ最後にまとめ的なことを言っておくわね。大事なのはアンタが現実をどう受けとめるかってこと。繰り返し言うけど、この世界は神様が創ったゲーム世界なの。アンタが「現実」だと思っているものは、アンタの脳が映し出しているホログラムのようなもの。だから現実を辛いと思えるか楽しいと思えるかは、アンタの頭次第ってことよ。生きている限り、アンタは外界からさまざまな刺激を受けとる。受け取った刺激は神経を通じて、脳内信号に変換され、処理される。信号をどう処理して解釈するのかは、アンタのシナプスが決める。つまり、シナプスの配線パターンと結合強度がアンタの思考や言動パターンを形成している。だから人生をより良いものにしたければ、ポジティブな神経回路を築くことが大事。シナプスの配線パターンを変えるためには、習慣を改めること。ネガティブな思考を変えるためには、認知の歪みを修正すること。そうするためには実際に行動しなければならない。行動しなければ現実は何も変わらない。どう、わかった?






ぬこ:ええ。もう耳にタコができるくらいです。






天使:なんですって?






ぬこ:いや、ハハハ…。ちゃんと理解したんで大丈夫ですよ。






天使:そうね。さすがにこれだけ言ってわからなかったら、脳ミソを手術するしかないもんね。






ぬこ:ひぇっ、怖いな。






天使:で、結論だけど、人の人生を左右するのは半分くらいは遺伝子によるけど、決して遺伝子がすべてを決めるわけじゃない。むしろ重要なのはアンタの意志──アンタが「どう生きるか」ってことよ。人間一人ひとりは、神様が創ったこのゲーム世界のプレーヤー。そして各プレーヤーにはそれぞれ固有の【使命】が課せられている。己の使命を自覚してそれを果たせるかどうか、アンタたち人間はそれを試されているのよ。






ぬこ:うーむ、なるほど。






天使【使命】が何であるのかは人それぞれで違ってくる。だから、たとえどんな遺伝子をもって生まれてこようとも、自身の使命を果たせるかどうかは、結局のところ自分次第ってわけ。他人の生き方と比較しても意味はない。アンタはただ己の使命を自覚して、その使命を果たすために行動すればそれでいい。人生はそれ以上でも以下でもないの






ぬこ:うーん、なるほどなぁ。






天使:総括すれば、遺伝子は隠しパラメータのようなものといって良いでしょう。






ぬこ:隠しパラメータ?






天使:そう。この世界はゲーム世界であり、人間一人ひとりはこのゲームのプレーヤー。当然のように、人それぞれでもっている能力は異なっている。ゲームふうに言えば、ステータスが異なっている。戦士だったら力や体力が伸びやすいとか、魔法使いだったら魔力は伸びやすいが力は弱い、みたいなステータスのばらつきがある。隠しパラメータとは、どの能力が伸びやすいかを陰で規定している要素のことね。もっとわかりやすく言えば、要するに「素質」のことよ






ぬこ:ふむ、なるほど。つまり、人それぞれ得手・不得手があるけど、それを暗に規定しているのが遺伝子という隠しパラメータなんだね?






天使:そう、その通り! アンタは自分が内向型の遺伝子をもっているから人生詰んでしまったと考えてるみたいだけど、それはまったくのナンセンスね。






ぬこ:…。






天使:人生上手くいかないのを遺伝子のせいにしてもしょうがない。遺伝子はあくまで隠しパラメータ、つまり素質のことなんだから、大事なのは自身の素質を活かすこと、素質を活かして人生をポジティブに生きることよ。そうは思わない?






ぬこ:その通りですね。






天使:そうでしょ? はてなブロガーの自由ネコさんが良いこと書いているわ。



gattolibero.hatenablog.com



天使:生物は遺伝子によってプログラムされた機械であると主張した、あのリチャード・ドーキンスでさえ、人間は必ずしも遺伝子に支配されるわけではないと述べているわ。


 意識によってどんな哲学的問題が生じようと、この本の論旨でいうならば、意識〔精神〕とは、実行上の決定権をもつ生存機械が、究極的な主人である遺伝子から解放されるという進化傾向の極致だと考えることができる。脳は生存機械の仕事の日々の営みにたずさわっているばかりでなく、未来を予言し、それに従って行為する能力を手に入れている。脳は遺伝子の独裁に叛(そむ)く力さえそなえている。たとえば、できるだけたくさんの子どもをつくることを拒むなどがそれだ。しかし、後に述べるように、この点では人間は非常に特殊なケースなのである(『利己的な遺伝子』より、〔 〕は管理人)

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>




ぬこ:あ、ホントだ。






天使:だからね、すべてを遺伝子のせいにして人生に絶望しててもしょうがないんだよ。まずはどんなに小さなことでもいいから、何か楽しいと思えること、好きだと思えることを見つけてみなさいな。小さな変化を積み重ねていけば、いつかそれが大きな変化となって現れるんだから。






ぬこ:うん。そうだね。






天使:それじゃあ、ワタシ天界に帰るわね。さすがにちょっと長居し過ぎちゃった。仕事サボってるのバレそうだし、もう行くね。じゃ、サイナラ!






ぬこ:ありがとう、天使さん。これからはもう少し人生に前向きになれるように努めてみるよ。






天使:ハイハイ、頑張ってね。それじゃ、バイバイ~!






──天使は飛んでいった。去り際に彼女は羽を一枚落としていった。僕はそれを拾い上げると、小瓶に入れて部屋に飾った。


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